「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち
2023/5/65/19
初日上映後舞台あいさつあり
「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち

「あの日、何があったのか」「事実と理由が知りたい」
親たちの強い思いが、10 年にわたる唯一無二の記録となった――

2011 年 3 月 11 日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市の大川小学校は津波にのまれる形で、全校児童の7割に相当する 74 人の児童(うち 4 人は未だ行方不明)と 10 人の教職員が亡くなった。地震発生から津波到達までには約 51 分、ラジオや行政の防災無線で情報は学校側にも伝わりスクールバスも待機していたにも関わらず、学校で唯一多数の犠牲者を出した。この惨事を引き起こした事実・理由を知りたいという親たちの切なる願いに対して、行政の対応には誠意が感じられず、その説明に嘘や隠ぺいがあると感じた一部の親たちは真実を求め、市と県に対して提訴に至る。彼らはその間、そして裁判が始まってからも記録を撮り続け、のべ 10 年にわたる映像が貴重な記録として残ることになっていく―。

弁護団はたった 2 人の弁護士
親たちが“わが子の代理人”となり裁判史上、画期的な判決に

この裁判の代理人を務めたのは吉岡和弘、齋藤雅弘の両弁護士。わずか 2 人の弁護団で、「金がほしいのか」といわれのない誹謗中傷も浴びせられる中、原告となった親たちは事実上の代理人弁護士となって証拠集めに奔走する。彼らにとって裁判で最も辛かったのはわが子の命に値段をつけなければならないことだった。それを乗り越え 5 年にわたる裁判で「画期的」といわれた判決を導く。親たちが撮り続けた膨大な闘いの記録を寺田和弘監督が丁寧に構成・編集し、追加撮影もあわせて、後世に残すべき作品として作り上げた。