第9弾 コミュニティシネマセンター 岩崎ゆう子インタビュー

2015年8月19日
シネ・ウインド

シネ・ウインド30年目記念インタビュー 第9弾 コミュニティシネマセンター 岩崎ゆう子

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「映画館で映画を見る」ことがどんなに自分たちにとって大切で、ワクワクする体験なのかを伝えていきたい

※このインタビューは、月刊ウインド2015年8月号に掲載されたものです。

「コミュニティシネマ会議」とは

――9月4日(金)・5日(土)、新潟で「全国コミュニティシネマ会議」が開催されます。そもそも「コミュニティシネマ会議」とは?
岩崎◆「コミュニティシネマ」は、地域とかコミュニティと深くかかわる形で映画を上映している、場所や団体を指しています。それには映画祭とか映画館もあるし、美術館で映画をやっているところとかフィルムライブラリー、自主上映団体もあると思うんですけど、そういうコミュニティシネマの活動をしている人たちが、年に1回集まって、いろんなテーマを掲げて話しあう場が、「コミュニティシネマ会議」です。
――コミュニティシネマセンターがやっているのですか?
岩崎◆主催者はコミュニティシネマセンターで、開催地と共同でやってます。毎年、場所を変えて開催しています。
――昨年は東京でしたね(全国コミュニティシネマ会議2014)。私も行きました(月刊ウインド14年12月号に報告あり)。シネ・ウインドはコミュ二ティシネマセンターの団体会員ですが、「全国コミュニティシネマ会議」は一般の方も参加できるんですよね。
岩崎◆そうです。でもそれがあまり知られてなくて…。新潟では幅広い方にご参加いただければと思います。
――(資料を見て)「全国コミュニティシネマ会議」の最初は1996年の福岡。
岩崎◆最初は「映画上映ネットワーク会議」という呼び方でした。当時は、「コミュニティシネマ」という言葉自体がまだなかったと思います。
――「映画上映ネットワーク会議」の始まりは?
岩崎◆コミュニティシネマセンターが09年に法人化される前は、国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)という、国際交流基金という国の組織の傘下にある財団法人の映画事業としてやっていました。国際交流基金が、各地の国際交流協会の人とか国際交流に携わる人たちにこういうイベントをやったらいいんじゃないですか、というようなことを提案する会議・文化事業企画連絡会の一貫として、映画の上映を国際交流に役立てましょう、といった意味合いも含めてやったのが最初です。

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月刊ウインド93年9月号より

――93年に新潟の村杉温泉で、「第1回全国ミニシアター交流会」というものが開催されています。呼びかけ人はシアター・キノの中島洋さん、ユーロスペースの北條誠人さん、シネ・ウインド齋藤正行(月刊ウインド93年9月号参照)。
岩崎◆私たちが最初に上映ネットワークというのをやろうと考えた時に、ミニシアターや映画祭のネットワークを作る動きもありました。国際国流基金が対象とするのは公共的なところが多いのですが、地域で映画の上映をやってる人たちのネットワークを作って活動を活性化しようと思った時には、公共の人たちだけでは不十分です。地域の映画文化を担っている中心的な存在は地域のミニシアターとか映画館ですから、公共の人も民間の人も、垣根を越えて集まるような場所を作りたいと思って、両方の人に声をかけて集まってもらう場にしたんですね。
――それが「映画上映ネットワーク会議」になっていったということですね。
岩崎◆はい、そうですね。
――「全国ミニシアター交流会」は、94年に第2回が箱根、第3回が同年に京都で開催されたようです。そのあとは記録を調べられませんでした。参加者も同じ方がいるようですし、「映画上映ネットワーク会議」につながっていったのでしょうか。
岩崎◆そういう部分もありますね。もっと前に遡ると他にもいろいろあるんですよ。シネマテーク・ジャポネーズとか映画サークルとか。
――ずっとそういうことは考えられてきて、今、すごく形になってきたということでしょうか?
岩崎◆まぁ、そうですね。あの頃の方が勢いがあった、とも言えると思いますけど(笑)。

とにかくアートとか文化に関わる仕事を

――どうしてこういう、映画に関わるお仕事につかれたのですか?
岩崎◆エース・ジャパンに入ったのは、映画の仕事ができる、ということがあったからです。それ以前から、とにかくアートとか文化に関わる仕事をしたいと思っていたんですね。それしかする気がなかったというか。その前に川崎市市民ミュージアムというところで仕事してたんですが、そこでは映画ではなくパフォーミングアーツみたいなことをやっていて。ちょっと、疲れたんですね(笑)、“なまもの”をやることに。もともと文学部出身で本の編集とか、そういう作業のほうに興味があったので。今でもそういう作業はとても好きです。カタログを作るとか。映画は本とは違いますが、次に仕事をするとしたら映画に関わる仕事がいいなと思ったんですね。そうしたところに、たまたまお話をいただいて。
――その前から映画はお好きだったんですか。
岩崎◆そうですね。川崎市市民ミュージアムにも映画の部門があって、その中で映画事業の広報をやるのも私の仕事でしたから、映画の仕事をしたい、と思いました。
――映画はずっと見てらしたのですか。
岩崎◆いわゆるシネ・フィルみたいな見方をしていたわけではないです。その頃は、せいぜい年に50本とか。美術とか音楽とか舞台芸術とか映画とか、アート全般に興味があったという感じだと思います。
――映画に関わるというと、作るほうに行く人が多いと思うのですが、映画をめぐるお仕事にすすまれたのは?
岩崎◆川崎市市民ミュージアムは、映画をコレクションしてそれを見せるという場所で、当時、アート・マネジメントということが盛んに言われはじめた頃で、そういうことに関心を持ちました。映画のプログラムを作るって本を作るのに似ているような気がしたものですから。そういう仕事って楽しそうだな、と思いました。

変わらないこと 変わったこと

――月刊ウインドに岩崎さんの「コミュニティシネマ」についての文章を掲載させていただいたのが08年でした(9月号、11月号)。

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月刊ウインド08年9月号より

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月刊ウインド08年11月号より

昨年のコミュニティシネマ会議では、この10年の分析報告が分科会でありました。振り返って、どうですか? 私、岩崎さんの文章を改めて読んで、全然変わってないなぁと思っちゃいました(笑)。
岩崎◆つくづく進歩がないなと反省しています。今もおんなじことを言ってる、みたいな(笑)。
――映画を取り巻く状況は、あまり変わってないですね。
岩崎◆上映のデジタル化という、ものすごい歴史的な変化はあったのですが。
――デジタル化にともなって、映画の制作本数がぐっと多くなりました。
岩崎◆それと映画館のあり方が変わった。現在はシネコンがスクリーン数の80%以上を占めています。
――全体的な雰囲気はどうですか。
岩崎◆それほど変わってないような気がします。
――変わったところは?
岩崎◆自分も含めて、関わった人たちが全体に年を取った(笑)。世代交代が必要な時に来ている、ということじゃないでしょうか。

コミュニティシネマを取り巻く環境は、変わったといえば変わったし、10年ぐらいでそんなに変わるもんじゃない、ともいえると思うんです。デジタル化という激変があったわけですが、この10年の間には、2011年に3・11がありました。2011年の後に、「シネマエール東北」(東日本大震災の被災地での上映会活動)の活動の中でいろんな人たち、映画の上映に関わる人たちだけじゃなく、地域で何かしたいという若い人たちに会う機会を得ました。その中でそういう若い人たちに対する信頼感を持つようになりました。
そういう人たちは、私たちとひと世代以上違うわけです。ウインドの齋藤さんとか、ミニシアター第一世代の人たちと私たちとの間と、同じくらいの差がある。第一世代の方たちも私たちに対して、そういうことを思ったときがあったのかな、と。
30代半ばぐらいの人たちが、新しいことを考える。私たちがこれまでやってきたことを、新しい見方で捉えなおし違うやり方でやろうとする、そういうことを受け容れられる気持ちになってきたんですね。新しい人たちが次のあり方を作っていく。今、ミニシアターとか映画祭とかには、私たちの世代が多くて、まだがんばらないといけないんですが、それと同時に、やってきたことを世代交代していくのが、これからの10年じゃないかなとも思います。
――何を特に守りたいですか。
岩崎◆私たちは上映者の団体ですから、スクリーンで映画を見る体験をより魅力的なものにすることを考えたいです。
――昨年の「全国コミュニティシネマ会議」もそういうテーマでしたね。今は、スクリーンではない映画との出会いもすごく多いですから。
岩崎◆もしかしたら、それが一番変化したことかもしれません。
――10年とは言わず、短い時間にあっという間に変化しましたね。
岩崎◆ネットとか携帯とか。
――映画が好きと言う人の中にも、映画館で見てない人の方が多いかもしれない。
岩崎◆コミュニティシネマとかミニシアターは、上映作品の多様性ということを重視してきました。でも、これだけ公開作品本数が増え、映像の受容手段が多様化する中では、多様性ということも引き続き重要なテーマだとは思うんですが、それ以上に、「スクリーンで映画を見る」という体験そのものの大切さを伝える必要性を感じます。

新潟市とか東京とかに住んでいると、映画館は身近にたくさんありますが、全国各地に映画館の空白地域がものすごく広がっているし、映画館に行ったことのない子どももこれから増えていくだろうと思います。映画館で映画を見ること、大きなスクリーンでみんなと映画を見ることがどんなに大切なことか、ワクワクする体験なのかを伝えていきたいです。
――スクリーンで映画を見ない人たちに、映画館を勧める言葉って何でしょうね。
岩崎◆わかりません!(笑)見られる環境があればいいんですが、映画館があるところまで1時間2時間かかるところにいると、スクリーンで映画を見るという選択をすること自体が難しくなる。「映画館で映画を見る」ってこんなに素敵なんだという、出会いのチャンス、体験の機会を作ることが大切だと思います。新潟県だってそうですよね。映画館のない町がすごくいっぱいある。
――新潟市には映画館がたくさんあって、新潟市の人はそれが当たり前だと思ってる。恵まれてる人ってそうですよね。なくならないと気がつかない。新潟市くらいの規模で、映画館が4つも5つもあるなんて、他にあまりないと思います。ただ、新潟からだと意外と交通の便がいいので、上映されない映画は東京まで見に行っちゃうんですよね。日帰りできますから。だから、地元での上映への欲求がそれほどには強くない。これは映画だけじゃなく、芝居や美術展などでも同じですが。
岩崎◆でもそれはごく限られた層ですよね。私も映画館がない環境って実感としては理解できていませんでしたが、「シネマエール東北」で東北に映画を届ける活動を始めて、映画館がない町がこんなにたくさんあるんだ、って感じました。
――「シネマエール東北」は今も継続してるんですよね。
岩崎◆そうです。「シネマエール東北」の活動も5年目になりますので、これからは仮設住宅などでの小規模な上映を続けながら、映画館のない地域で上映活動が続いていくように、そういう活動を応援する活動にも力を入れたいと思っています。
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ライザ・ミネリの「キャバレー」

岩崎◆今は、大体年間150本くらいは見るようになりました。映画祭でまとめて、とか。

福岡の田舎で育ちましたから、東京とは全く違った環境だったと思います。映画の思い出というと、高校一年生の時、名画座で3本立てとか4本立てとかやってて、その中でライザ・ミネリの「キャバレー」を見たんです。その時、今まで見たことがないものを見たと感じたのを覚えています。メジャーな映画とかおもしろいラブストーリーとは違う、違う世界を見てしまった、みたいな気がして、それがとても嬉しかったんです。

東京へ出たのは大学を卒業してからです。大学の時には福岡にはまだミニシアターはありませんでしたが、名画座はありました。友達はシネクラブ的なことに関わっていました。私は見にいくだけでしたが。

30年目のシネ・ウインドへ

――新潟での全国コミュニティシネマ会議の開催を、どう思ってらっしゃいますか。
岩崎◆新潟にはシネ・ウインドという老舗ミニシアターがある。新潟県には十日町シネマパラダイス、高田世界館、ながおか映画祭もあるし、充実した内容になると思います。「水と土の芸術祭」「大地の芸術祭」もやってるし、楽しみですね。
――30年目のシネ・ウインドへ、要望やアドバイスがありましたら。
岩崎◆30年ってすごいですね。シネ・ウインドはミニシアターの中でも重要な位置にある、みんなが参考にするような映画館だと思います。アドバイスなど、おこがましいのですが、新潟県の中で何か連携してやれるといいのかな、と思ったりもします。
――全県的な捉え方がなかなか難しいとは思います。なにしろ新潟県はとても広いので。
岩崎◆単体だけで考えないで、町の中の他の文化事業とのつながりを作ったり、県内の上映者のネットワークを作ったり。単体ではできないことも、ネットワークだからできるということがあると思うんですよ。コミュニティシネマセンターそのものがそういう存在だと思いますし、地域地域でもそうやって、できるといいな、と思います。映画館が重要な場所だと、より多くの人に伝えていくために。

※2015年6月15日、シネ・ウインドにて
テープ起こし・構成 岸じゅん
聞き手・文・構成・ページ担当 市川明美

岩崎ゆう子…一般社団法人コミュニティシネマセンター 事務局長。1961年生まれ、福岡県出身。九州大学卒。東京都在住。
一般社団法人コミュニティシネマセンター…地域の映画環境を豊かにする「コミュニティシネマ」の設立やその活動を支援し、ネットワークを形成して、この活動を推進していくための組織。「シネマ・シンジケート」(地方の映画館の連携プロジェクト)、「シネマテーク・プロジェクト」、「子どもと映画プログラム」、「会員相互割引サービス」(ツール・ド・シネマ・ジャポン)、「シネマエール東北 東北に映画を届けよう!プロジェクト」等、様々な活動を繰り広げている。

全国コミュニティシネマ会議…さまざまな場で“映画を見せること”を行っている人々の情報交換と研究討議の場として、1996年から毎年開催。主に映画祭関係者、公共ホール・美術館・図書館の映像担当者、自治体の文化事業担当者、シネクラブの主催者、ミニシアターを中心とした興行関係者、自主上映団体、独立系配給会社 等が参加。2015年は新潟市で開催。
全国コミュニティシネマ会議2015」 2015年9月4日(金)・5日(土)
会場:新潟県民会館・小ホール、りゅーとぴあ、i-MEDIA本館、シネ・ウインド
映画の上映に興味のある方ならどなたでもご参加いただけます。
下記ページで詳細を確認の上、メールかFAXでコミュニティシネマシネマセンターへお申し込みください。

全国コミュニティシネマ会議 http://jc3.jp/event/conference.html

全国コミュニティシネマ会議2015 チラシ(申込書)PDF 申込書方法もこちらに載っています。