第3弾 コラムニスト えのきどいちろうインタビュー 月刊ウインド「どうしてこんなに映画なんだろう」連載中

シネ・ウインド

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▲えのきどいちろうさん シネ・ウインド前にて

※この記事は、月刊ウインド2015年2月号に掲載されたものです。

 

北酒場で会って

――月刊ウインドに連載をありがとうございます。いつもなめらかで軽くて、とてもいい文章ですよね。

えのきど◆いやいや、とんでもないです。適当にやってます(笑)。

――月刊ウインドに連載していただけるようになったのは井上支配人と北書店(新潟市中央区医学町通2)で会ったことからでしたね。

えのきど◆そうです。北書店でアルビ関係のイベントがありまして、イベント後、お店のいろんなものをどけちゃって懇親会のような飲み会、北酒場っていうんですが、そこに井上さんがいらっしゃって。

今ずっと、アルビレックスの試合観戦記だとか、WEB連載をやっています。新潟とご縁ができて、割と頻繁にくるようになった。たとえば福井に行くとメトロ劇場とか、行った先で微妙な映画をやっている(笑)ミニシアター系のそういうところって大事なんですよ。電車や高速バスまでの時間とか、夜中までレイトショーをやってるみたいな映画館。それがすごく便利で、新潟でもいいとこないかなって思ってたんです。井上さんと知り合いになれてよかった(笑)。会員になると、なんと毎回来るたび「映画の日」じゃないですか。これはいいな、とすごく気に入って。それにこの部屋(シネ・ウインド2階フリースペース)。部室みたいな懐かしい感じがしていいな、と。

――サッカーのアルビレックスとの関わりはいつ頃から?

えのきど◆たぶん、反町康治監督の頃。2002年の日韓ワールドカップの時にスカイパーフェクTV!で「ワールドカップジャーナル」の司会をやったことがありまして。反町さんが見ててくれたみたいで、気軽に声をかけてくれたんですよ。人を紹介してくれたり。僕は新潟出身でもなければ、大学も新潟大学ではない。地縁というものが全くないんですけど、知り合いがどんどん増えて。新潟の人は照れ屋さんなんだけど、「この人は入り込んでくるなぁ、本気だなぁ」と思うと、割と受け止めてくれる。すごくあったかいし、気に入ってますね。今やものすごくいろんなところに知り合いができた。サポーターはかなり積極的ですよ。交流を持って、一緒に飲みに行こう!みたいな勢いですよ、みんな。

――スポーツは元々お好きだったんですか?

えのきど◆プロ野球のファンで、北海道新聞に野球コラムの連載をやってます。あとは、アイスホッケー。北海道に住んでいたんで、妹がフィギュアの選手、おふくろがインストラクターをやっていたし。アイスリンクの世界は身近なんですよね。アイスホッケーはすんなりと入っていった、という感じです。

――大学で作っていた「中大パンチ」はどういう内容だったのですか?

えのきど◆パロディ系っぽいキャンパスマガジンなんですけど、「宝島」みたいな感じですね。その時の編集長が読んで、おもしろいので書かないかって言ってくれて、在学中に「宝島」で連載を持つことになったんですよ。

――「宝島」って、大きいことじゃないんだけど一生懸命書いてる、みたいな、目の付け所がおもしろかったように思います。その頃の精神が今もずっと続いている感じですか?

えのきど◆そうですね、割とだから、月刊ウインドが身近な感じ。この部室みたいな部屋がいい(笑)。

今はスポーツのフィールドに見られることが多いんですけど、一貫して僕はサブカルチャーのフィールドにいた人なんです。僕の同年代で芝居やってたり、音楽やってたりするような人はたいがい知り合いだったりする。

――映画はその頃から?

えのきど◆映画はまったく1回も仕事にしたことがないくらいなんです。雑誌で映画のことを書いたことはあるんですが、連載はない。「映画秘宝」に書いてるのはたいがい友達なんだけど。

映画だと、シネ・ウインドに近いなぁと思うのは三鷹オスカーっていう映画館。今はなくなっちゃったんですけど、3本立ての名画座。三鷹は立地上、地方性文化なんですよね。

僕は鶴田くんっていう友だちがいてね―その後、映画監督になった鶴田法男。日本ホラー映画の父と言われていて、娯楽映画に志を持っている人です―その三鷹オスカーって、鶴田くんのウチなの。僕は単なる映画好きの学生だったんだけど、彼と話したらすごくおもしろかったので、この人は将来何かになるなぁと思ってた。で、鶴田くんがタダ券をどんどんくれるんですよ。2週間ごとに番組が変わってたと思うんですけど、大学に行くより三鷹オスカーに行ってたくらい。鶴田くんのおかげで映画を見る習慣がついた。あの頃はお金もなかったしね。ふんだんに見るうちに勢いがついてくると人って止まらなくなったりするので、フィルムセンターに行ったりだとか。東京は当時、ホントに名画座みたいなカルチャーがすごかった。おもしろかったですね。高校、大学の頃の話です。

中3で東京へ

えのきど◆中大杉並で付属高校だったので、受験がなかったんですよ。大学が3年長いみたいな生活です。高校生に受験がない、というのはすごくいいことですよ。

東京に来る前、中3の夏休みまで久留米にいたんだけど、どこに行っても誰かに会っちゃうんですよ。デートしても友だちに会うし、先生は補導に来るし。でも、東京だと絶対に見つからないですからね、ジャズ喫茶で学ランを隠してバイトしたりとか、楽しかったな。

父の転勤で中3の時に東京に行ったんですけど、あれはホントにラッキーだったと思います。東京は、映画だとか芝居、音楽とかたくさんあって、「ぴあ」「シティロード」とかの情報誌を見ると眩暈するような感じじゃないですか。どこから手をつけていいか。東京のすべてを利用し、すべてを網羅的に情報把握して生きてる人なんかいないんだけど、最初はくらくらする。段々、細かいだけなんだなぁってわかってくるんだけど。

中目黒に住んでる友だちのところに遊びに行って、「エロ映画は三軒茶屋にあるんだ、連れてってくれよ、へぇ~」ってなったり。いろんな人の「東京」を体験する。僕は東京の人じゃなかったから。両親は東京なんだけど、転勤族でいろんなところに行って育った子なので、高校の同級生なんかの生活感覚をトレースする感じで。「浅草で育った人は最初のデートでどこに行くの? 不忍池でボートこぐの?」「最初に見た映画は何? それはどこ?」とか、段々自分の中の地図を広げていく感じでしたね。それはね、すごくおもしろいことなんですよ。東京の人は情報量が多いし、なんかノリが全然違うんですよね。そのトレースは今でもやっている感じです。新潟でもそれは同じ。たとえば、「新潟でちょっと変わってる映画はどこで見るの? シネ・ウインドってあるんだ」。いろんな人の生活感覚をトレースしていくとおもしろいんですよ。「愛してるカレーってどんなの? バスセンターのカレー? それはどんなのなの?」とか、みんなが大事にしている一番あったかいぬくぬくの生活感覚。ぬくぬくのカルチャーの。気取ったもんじゃなくて、自分の行きつけの映画館、行きつけのカレー屋さんみたいな。それは大事なことで、みんなにあるんですよ。どこの町にもある。

僕は、今、インタビュイーですけど、インタビュアーをやるほうが好きなんですね。人の話を聞くほうが好きなんです。話を聞いたら、「じゃあ、そこ連れてってよ」となる。それは外国の友だちでも同じ。いろんな人がいろんな世界を連れて生きている、というか、抱えて生きているので、そういうことにとても興味があるんですよね。

サッカーも僕の興味の持ち方は同じ。たとえば「ベガルタ仙台はどういう世界なのか?」「最初にぐっときた試合は何?」「最初に好きになった選手は誰?」とか聞く。選手にも。アウェーで見に行って頭を突っ込んでその世界を体験するっていうか、垣間見るような時でも、町が持っているものだとか、抱えている世界っていうのがあって、たいがいすごく魅力がある。どこに行っても、だいたい、美味しいものがある。その土地に行かないと。デパートなどで駅弁大会やってたりして、そこで各地の駅弁が食べられたりするけど、その土地の湿度感、空気感の中で食べたほうが美味しいように、そこに行くと、いいなぁっていうものがあるんですよね。それは劇場もそうだし、映画館もそうだし、スタジアムもそうだし。それはなんでかっていうと、人がそうだから。それが、僕が何者でもない高校生の頃から、ずっと続けていて今でも飽きないことですね。それを原稿に書くかどうか。書かないこともたくさんあるわけです。

客観視する子ども

えのきど◆たぶん、転校生だったからじゃないですかね。両親はどっちも東京なんですけど、僕が生まれたのは秋田で、群馬、高崎、釧路、和歌山、久留米など、いろんな所に行った。土地土地ですごくノリが違ったりするんですよ。自分の世界が変わっていったり、違う世界に首を突っ込んで探検したり見ていったりするのがすごく好きなんですね。カルチャーっていうと大げさだけど、そこの土地の文化とか、ノリみたいなものの違いに気がついたり。小学校低学年くらいでも、前の町と今の町はこう違うんだなぁ、とか、比べたりする習慣がなんとなくついちゃうんですよね。客観視する子ども。同じ町で育ってたらライターにはならなかったと思う。

小数点以下の7ケタ

えのきど◆自分が好きな小説家、映画監督が出た時には自分と皮膚感覚が繋がっているんだという好きになり方をみんなすると思うんですよ。俺の世代の監督がついに出てきた、という嬉しさ。

「先生」はもういい。俺の皮膚感覚と繋がってないから。尊敬はするけど、俺とは関係ない。俺は俺の感じを大事にしたい。学生時代、サザンってそうだったんですよ。めちゃくちゃな歌を歌う人たち。立派じゃないんだけど、俺にとってはジャストな感じがする。求めていたのは、皮膚感覚でわかるなぁ、誰もまだ気が付いてないかもしれないけど、俺はわかるなぁ、って思うようなものですよね。シネ・ウインドがやってくれる映画は、いわゆる大作よりかは、俺はわかるなぁ、っていうみたいなもの。小さい予算の小さいマーケットを対象にしたものかもしれないけど。

みんながわかるつまんなさってあるでしょう? みんながわかるように作ったもののつまんなさ。みんながわかるものの素晴らしさももちろんあるんですけど。どういう風にするとみんなにわかるか、と考えて、じゃあ、小数点以下は切り捨てましょう、となるつまらなさ。

高校くらいの時、俺の感じは小数点以下の7ケタくらいなんだけど、7ケタまでは誰もわかってくれないなぁ。4ケタまでは誰でも言えるんだけどね。でもここから複雑な7ケタまでが、俺にとっては大事なんだ。で、この感じを書いてくる作家がいたよ、とか発見できる嬉しさ。『風の歌を聴け』が出たとき、仲間内で、「なんにも起きないんだけど、読んだ?」「『群像』に載ってたんだけど、読んだ?」「変な人だよね、あの人」とか、すごく盛り上がって話題になった。そういうことってあるんですよ。今ではもはや世界中で村上春樹さん、わかるようになっちゃったんだけど。

僕はライターになる時のひとつのモチベーションは、小数点以下7ケタのところまで書き込もう、それを一枚一枚の紙にしていこう。自分で思っているだけでは伝わらないので形にして人にわかってもらおう。僕の初期衝動としてはそういう感じですよ。で、頑張って続けていくと伝わったりするのだ!

交差点みたいなところ

えのきど◆それで、シネ・ウインドは僕の新潟でのいろんな人の広がりっていうのと、元々持っているサブカルチャーの広がりの、ちょうど交差点みたいなところにあるものなんです。物理的には電車の時間まで映画見るみたいな感じで助かるところもあるんですけど、その交差点みたいなことをうまく利用してやってみようと思ったのは「にいがたサッカームービーウィーク」(2014年2月開催)。いずれ「新潟サッカー映画祭」みたいな感じでやれるといいな、と思うんですけど。

サッカーは世界共通の言語、世界共通な広がりのあるスポーツ文化なので、サッカー映画っていっぱいあるんですよ。外国でも多いし、日本でもいっぱいある。これまでサッカー映画というくくりじゃなかったような、寺山修司の「書を捨てよ 町に出よう」もサッカー映画なんですよ。ものすごく凶悪な人っていう設定のサッカー部の人が出てくるんです。主人公もサッカー部と関係がある。いわゆるサッカー映画、野球映画じゃないけれど、ホントに象徴的なシーンがサッカーや野球になっている映画ってたくさんあるんですよ。他にも、「勝利への脱出」や、イタリア映画ネオレアリズモの名作「自転車泥棒」もサッカーの下地があって見ると、そのリアリティのすごさがより伝わってくる。そういうのを集めて、映画祭とかやりたいですね。

アルビレックスのサポーターは、オフの間は集まるところがないんですよ。シーズン中はあんなにビッグスワンに集まっていた人たちが、コミュニティが1回バラされてしまう。だから、オフ中に集まる場所が映画館でもいいじゃないか。シネ・ウインドのような、スポーツファンからみると小難しい縁遠いような映画をかけている映画館に、触れるきっかけになったりするんじゃないかな。それが交差点というか、広場になるといいなと思っていて。僕は交差点のようなところで生きてきたような人なのでちょうどいいかな、と。

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――北尾トロさんとの共著『愛の山田うどん』については、「(山田うどんは)全く美味くはないですよ(笑)。美味いということを言いたいのではないんです。僕は『山田うどん』で郊外論をやりたかった」と、えのきどさん。

新潟の犯罪にも興味があるという。

「どういう犯罪が起きるかは、その地域の距離感を教えてくれる。おもしろいですね」「僕は人間の〈きわ〉が見たいんですよ。鬼畜みたいなことをするのは人間じゃない、っていうけど、人間だからするんでしょ。不思議な感じもするし、俺にもこういうところがあったりすると怖いなぁ、って思うし。人を見る時のリアリティみたいなものが、そこにあるんですよね」

次から次へと繰り出される話題は幅広く、映画の話ではストーリーの隅々がすぐさま出てきたり。博識ぶりにほれぼれしました。その魅力の一端に新潟で、そして月刊ウインドで接することができるのは、本当に嬉しい限り。これからも楽しみにしています!!

※2014年11月29日、シネ・ウインドにてインタビュー。

テープ起こし:岸じゅん  聞き手・文・構成:市川明美

 

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えのきどいちろう…コラムニスト。1959年生まれ、秋田県出身。80年、中央大学在学中に『宝島』で商業誌デビュー。以後、数えきれないくらいの新聞、雑誌に連載を持つ。近著に『みんなの山田うどん』(河出書房新社)。北海道新聞で野球コラム「がんばれファイターズ」連載中。HC日光アイスバックスチームディレクターでもある。

アルビレックス新潟ウォッチャーとしても知られ、新潟日報で「新潟レッツゴー!」(隔週火曜日)、アルビレックス新潟公式サイトで「えのきどいちろうのアルビレックス散歩道」連載中。

■2012年12月、新潟市の北書店で行われたえのきどさんのトークショーに行ったシネ・ウインドの井上支配人が、実施中だった「デジタルシネマ設備募金プロジェクト」の話をしたところ、数日後に突然連絡があり、TBSラジオ「えのきどいちろうの水曜Wanted!!」に電話出演して募金の話をすることに。いち早い支援はとてもありがたく、えのきどさんファンの井上支配人はかなりの舞い上がり振りでした。そしてそれが縁で、えのきどさんに月刊ウインドで連載していただけることになったのです。「どうしてこんなに映画なんだろう」は2013年6月号よりスタート。

※月刊ウインド2015年2月号より転載