第12弾 番外編 シネ・ウインド代表 齋藤正行

2015年12月22日
シネ・ウインド

 

シネ・ウインド30年目記念インタビュー第12弾 番外編 シネ・ウインド代表 齋藤正行

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50年先を思いつつ、今できることを考える

※このインタビューは、月刊ウインド2015年11月号に掲載されたものです(取材は9/15)。

一筋の糸のように

市川◆今回は30年目記念インタビューの最後、これまでのまとめになります。この1年のインタビュー記事を振り返って、どうですか。30年間のお付き合いがいろいろと出てきましたよね。
齋藤◆おもしろかったよ。みんなそれぞれ、ウインドとの関わり方やウインドに対するイメージがちょっとずつ違うというか、同じところとそうでないところがあるから、結局、(ウインドは)なんだかわからないっていうか、すごい広がりがあるところだなぁ、と(笑)。この(インタビュイーの)中で、30年前から知っている人は5割もいないんだもんね。読んでて、そのまた前の世代というか、30年前、20年前、最近では2年前に亡くなった人のことを思い出しました。
市川◆インタビュイーは50歳前後、つまり、私と同じ年くらいの人が多いんですよ。最初にシネ・ウインドに関わった時は20代くらいで、その後ずっと関わってきた人。
齋藤◆時間が経っているってことだなぁ。それにしても、一筋の糸のように繋がっていることを感じるよね。
市川◆「ウインド」で繋がってるし、「映画」や「新潟」で繋がったり。これまでの30年を知らない若い世代が読んで、へぇ、そうだったんだ、と思ってくれるといいなぁという企画意図がありました。
齋藤◆だから月刊ウインドを出したんだよね。最初は広報・宣伝のためなんだけど、ミニ媒体でもいいから、自分たちの編集権は絶対に譲り渡さない、つまり広告主とかスポンサーに左右されないで、自分たちの意見、意思を表現するものを持ってないと、と思ったんだ。
市川さんが言ったように、次の人のためなんだよね。記録に残そう、と。俺がつかまっても、つぶれても、つぶされても。坂口安吾じゃないけど、昔、こういう人がいた、とか、やったことがある、とか、すごい勇気になる。二度人生やれるみたいなもんさ。
市川◆鈴木良一さんが言ってたんだけど、新潟の詩人は内輪のもめごとを書き残さないので、何があったか後の人にはわからなくなる。他県では詩誌などで後を追えるけど、新潟は、だから研究が難しい、とか。新潟人の特徴なのかもしれないけど(笑)、なるべくいろいろ書いておくのはいいことだなぁと思いますね。
齋藤◆インタビューの中にいろいろ出てくるよね。ウインドがあるからとか、影響されたとか、助けになるとか。みんながウインドをうまく利用しているんじゃないかな。この間の会員総会(9/8)にも、新しいことをやろうとする人が意気軒昂に集まってくるんだものね。そういうところが、他の組織と違うんじゃないかな。
市川◆歴史ができてくると、新しい人が来にくくなるのは確かですね。それが、シネ・ウインドにはわりと来てくれる。嬉しいですね。どんどん利用してくれればいいと思う。最近前よりは、敷居が高いとか、あんまり言われなくなったかな。どうだろう。
◆敷居が高いとか、敷居が高いと思ってる人がいるとか、私は考えたことなかったですよ。おもしろそうな映画をやってるところがあるな、と思ってて、でも子育て中だから行けない。で、下の子が幼稚園に入ったら会員になろうと。
市川◆それは、岸さんがすごいんですよ。
齋藤◆敷居なんてどこでも高い。飛び越えて来なければダメなんさ。俺は客商売してない、会員もお客もみんな仲間だと思ってる。

知らせる努力

市川◆この間の「全国コミュニティシネマ会議」(9/4・5)はどうでした?
齋藤◆もっとお客さんを、新潟の人を呼びたかった。ウインドの会員も、一般の人も。宣伝がうまくなかった。基本的に向こう(コミュニティシネマセンター)の仕切りだったんだけど、ウインドでオリジナルのチラシを作るとか、もっとできることがあったんじゃないかな、と。ウインドがやってることを知らせる努力を、もっとしなくちゃいけない。

コミュニティシネマ会議の感想としては、世代交代してることにびっくりした。全国各地の映画館関係者とか、俺は古い人しか知らない。みんな新しい人になっている。
市川◆次の世代の人たちが来てましたね。30代40代の人たち。
齋藤◆現状とか未来に対して、若い人たちが自分たちで課題を見つけ、真摯に向き合おうとしているので、あぁ、頼もしいなと思った。可愛いな、と。その姿勢があれば年寄りからノウハウは得ることができるし、向かっていけば、情報とか解決策が見つかるんだ、必ず。
市川◆齋藤さんがシネ・ウインドを立ち上げた時、36歳だったんだから、その年代の人たちが牽引力になって当たり前なんだよね。

圧倒的に信頼する

齋藤◆ウインドがよその組織と違うと思うのは、時間軸の個のネットワークと、今現在のネットワークが織りなされている、それも圧倒的信頼関係のもとで、というところ。人の心は変わるから、難しいんだけどね、でも、基本的に俺のほうからお前を信頼しない、とは言わないつもり。俺は圧倒的に信頼する。信頼しすぎて怖がられる(笑)。ある人は、俺は八方破れで隙だらけで、バカなんじゃないか、と心配してくれる。守ろうとガードをきつくすればするほど、隙間がはっきり見えて、そこが狙われる。仕事は五分と五分で絶対信頼。信頼しない人とはどんなにうまい話でも仕事しないほうがいい。長く続かない。
市川◆信頼って難しいですよね。
齋藤◆なんでそんなに信頼するんですかって言われるんだけど、30年前に俺を信頼したバカどもがいるから。俺はもっと大バカにならなければいけない。もっと信頼して。

幸せの枝分かれ

市川◆コミュニティシネマ会議の2日目、映画館とか建物を持たない人たちの話がいろいろあったでしょう(ディスカッション:新しい映画上映のかたち)。映画はひとつのコンテンツ、みたいな見方もありましたよね。私たちは30年前、小屋(映画館)を持つのが目的だったじゃないですか。どう思います?
齋藤◆120年の映画の歴史の中で、今は映像なんて巷に溢れてて、暗闇さえあればどこでも見られる。プロジェクションマッピング、あれも同じだよね。幅広くなってんだわね。でも、うちらは拠点が重要だと思ってる。
うちらは頼まれ仕事はしない。自分らがどうやって生きるか、生きるための拠点が必要なの。そのための道具は何でも使えばいいんだけど、劇場を持っているから映画を通して豊かに生きようっていうのが第一義。自分たちが選択して、より自由度がある。劇場を持たなきゃ自由度なんてないんだもの。
市川◆それは上映する自由?
齋藤◆そうそう。映像文化はいろいろあるけど、基本的に不特定多数の人と同じ空間・時間で共有して、時間が許せば、作品を見たごとに、お互い自分の生き様を議論して、自分を確認できればいいなと思ってる。その一助が月刊ウインドだったり、ライブラリー、「ネタバレ映画夜話」であったり。映画で確認しましょうね、ということを総合的にやろうとしている。だから、イベントで何万人集めました、ということに一生懸命にはならない。
市川◆映画を上映するだけが目的ではない、ということになりますか。
齋藤◆そうだね。映画を上映して、見て、批評して。おこがましいけど、新潟の地域が豊かになって、ここにいる人がちょっとでも幸せになればいいな。ホントは俺が幸せになればいいんだけど(笑)。俺が幸せになれば、もっとみんなも幸せになれるだろうなと。
市川◆それは私も同意見です(笑)。自分が幸せじゃないのに人を幸せにはできないですよ。
齋藤◆幸せの尺度が違うんだ、一般の人と。俺は幸せの枝分かれっていうか、個々の幸せを見つけていいんだよ、ということを言いたい。映画なんか、みんな違うんだもの。自分の尺度で見て、合ったらおもしろくて、合わないヤツはおもしろくないとなってしまうので、もっともっとまっさらな柔軟性を持ってもいいな、と。映画に対してそれができたら、人に対してもできるはずでしょ。

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新しい子が一番素敵

市川◆インタビューで皆さんに「シネ・ウインド30年」についてお聞きしています。先月の井関佐和子さんは、ウインドは今の場所で500年続いてほしい、と。
齋藤◆ふふふ、ありがとうございます~。
市川◆皆さんの言ってることは、どうですか。
齋藤◆想定内だね。ウインドを作った時、50年後をイメージした。南米の褐色の少女がシネ・ウインドっておもしろそうだ、と新潟に来て、その時には俺は死んでるんだけど、「あれ? あなたたち、齋藤正行が言ってること、よくわかってない」とか言うに決まっているって(笑)。今来ている新しい子が一番偉い、っていうか素敵。30年やった子と比べると、ホントは細かいことはわかってないかもしれないけど、理解してるから(ウインドに)来てるんさね。(ウインドができた)昭和60年にはまだ生まれてないとか言うけど、積み重ねたものをガブッとまるごと理解しようとする意思とか、なんだかわからないけどおもしろいっていうことが、超えてることだと思う、俺なんかより。踏み台にするんだ、みたいなね。そうでなければ続かないんだわね、ウインド自体が。みんな、そんな大言壮語はしないかもしれないけど、ウインドに来てる間に30年を勉強しちゃうじゃん。俺だって、新潟に帰ってきて2年間、新潟を勉強したとか言ってるけど、そんなん、たいしたことないさ。それを言い続けている間に、年寄りに会ったり本を読んだり、つじつま合わせるために一生懸命勉強してんだもんね。そうやって、俺は若い子をおだてたい(笑)。自覚できてる子もいるかもしれないけど、自覚してない子もおだてて自覚できればいいなぁと思ってる。

新潟を変えるとか、新しいことをやる時には、新しい言葉とか、新しい人がいる。たとえば月刊ウインド。映画館が発行している媒体なんて、存在自体も初だし、続いているのも初。市民映画館なんていうのも、なんだこれ、ダサくて、とか。変な人、新しい人、それはもうあなた(=市川)に象徴されてるわけじゃない。ウインドを楽しんでくれたり、苦しんでくれたり、作ってくれたり、今は鑑賞会の会長にもなってくれて。映画オタクとか、映画研究家とかいたけど、誰も俺を相手にしないんだもの。映画も見るし、芝居も見る、絵も見ればいいし、音楽も聴いて、自分の言葉をどっかでね、映画・音楽・演劇を通して、自分を語る言葉、あるいは自分を豊かにする言葉を手に入れ、紡いでいかないと。自分たちで発信する媒体がないと、俺たちは弱いから、相手にされない。テレビカメラの前になんか立っても、しゃべりが下手だから、何言ってるか伝わらない(笑)。

未来予測

齋藤◆人間は一人で生きていけないと思っている。社会とどういう風に関わるかが人生だからね。自分を豊かにすると同時に、その関わり方を多様に持てばいいんだね。多様なだけじゃなくて豊かに。そうすると、結局は音楽だって映画だって、文学だって、美術だっていっぱいあるけど、語れるものっていうか、共通言語をひとつでも持って、今生きている友達でもいいし、過去の死んだ人でもいいし、同じように未来の人とも会話できるんだと思う。未来は明るくないと困るみたいなこと言うけど、未来は不安なんさ。明日どうなるかわからない。いろんな言葉とか、いろんな媒体とか、すべてにプロにはなれませんけどね、もちろん。でも、そこから未来が予見できると思うんだ。怖がらなくてもいいって。

で、5年前くらいからずっと言ってることは、ハードの問題。
市川◆シネ・ウインドが入っているビル(万代シテイ第二駐車場ビル)の問題ですね。実際に話が出ているのではないけれど、万代シテイでは旧ダイエーのラブラもシルバーボールのビルも建て替えや改修工事をしているから。ここって伊勢丹より新しいんだっけ?
齋藤◆いや、同じ築32年。もし建て替えとかになったら、その時は、恐れずに自由に理想のものを描けばいい。これしか金がないからとかじゃなく、新潟にとってシネ・ウインドはどうあるべきか、というのを、その時をチャンスにして描き直せばいいんさ。町と一緒にないと、新潟が豊かにならないと、ウインドなんか成り立たない。
市川◆ウインドを作った時だって、古くからの繁華街である古町じゃなくて、新しい町である万代シテイをあえて選んだんだものね。
齋藤◆当時の万代シテイは、何そこ?みたいな感じだった。ウインドの前なんて、ひとっこひとり通らない、みたいな(笑)。
市川◆それがいつの間にかブランド街になってしまった(笑)。
齋藤◆それは俺、いろんな活動をやってきたから。新潟の町のことを勉強して、万代橋商店街を作ろうとしたし。ここ(万代シテイ)で役員やって、商工会議所行って。古町の人にも来て欲しいし。そう言い続けてると、後から来た人は当たり前みたいになってしまうんだわね。後の人が意味を膨らませてくれるかもね。だから、いつか建て替えなどの話が出てきた時は、新潟の長所と欠点を検証して、ウインドの役目を考え、思い切り理想のハードを作ればいい。俺ができるかどうかわからんけど、次やるんだったら、今度は更地で、2スクリーンで、片方はイベントもできて。
市川◆30年前も、最初は2スクリーンが目標でしたね。
齋藤◆クロークがあって、シネマカフェみたいな、飲食できるところも作りたい。全国の映画館の中にはカルチャーセンターとか、ライブをやってるとか、いろいろある。ただ、会員を中心にしてやっているのは、世界にここしかないんだと思うよ。それを忘れないようにしないと。
市川◆もう少し近くに焦点を当てると、どうですか。31年目からのシネ・ウインドは?
齋藤◆なんとかここまできたから、31年目は30年を反省してっていうか、それしかないからね。でも、わかっていても31年目でできないことがあるんだよね。前に遡れば、20年目に反省したことで21年目にできなかったことが、今、30年目にできているかもしれない。だから俺は、あんまり手近で検証して反省しないほうがいいと思ってるんだ。あれが悪かった、これがよかった、とか。なんとかビジョンとか言ってても、2、3年後にはまるっきり忘れてたりするんだから。ウインドは50年先を思いつつ、今できることを考えていきたい。自分たちが魂を売らないってことだな。自由度をどうやって保っていくか。

議論の対象に

齋藤◆理想は、ウインドを介して人の繋がりがあること。ウインドがどうのこうの、とか、あの映画がどうのこうの、って議論の対象になってくれればいいんさ。ホント、長生きしておもしろいなと思うね。こんなに世の中が変わって、俺たちも変わっているんだけど、世の中の変わり様よりも変わってないからね。
市川◆世の中が変わった、とは?
齋藤◆ベルリンの壁崩壊で俺、びっくりした。こんなに災害が起こるとか、15年前にNPO法案ができたこととか。まぁ、俺が思ったような世の中にはなってないけどね。制度はできたけど、徐々にしか進歩しない。流転っていうか、変わるんだね、釈迦が言ったように。変わりつつ生きていけばいいんだ。あるところで変わらないっていうのは、個々にはもちろん変わってるわけだからね。俺たちが変わらないのは、変わらない努力をしているから。30年前のウインドには、いろんなバックを持った人たちが一緒に集まってきた。右からは左翼、左からは右翼って言われたり、何を考えてるかわからないって言われたり。ウインドは今、右とも左ともつきあってるからね。政治に左右されないものを目指した時にどうするかって言ったら、みんなはよく、「等距離を置く」とか言うじゃん。俺は両方つきあえばいいと思ってる。世の中、組織同士になると、裁判で勝つか負けるかみたいな話になるけど、そうじゃない世の中の方がいいと思う。
市川◆それにしても、井関さんのいう500年は、さすがにちょっと難しいですよね(笑)。
齋藤◆500年って(井関さんのように)ヨーロッパに行った人の感覚なんだろうなぁ。でも、「ここの場所で」ってのを、「新潟で」にしてもらえば、オッケー、オッケー。

※9月15日、シネ・ウインドにて
聞き手・テープ起こし・構成 岸じゅん
聞き手・文・構成・ページ担当 市川明美

〈おまけ〉
齋藤さんは、(有)新潟市民映画館の代表取締役です。土日は基本的にお休みですが、月~金は朝からシネ・ウインドに居ます。開館準備をし、受付をし、映写をします。街中にある看板のポスター貼り替えは齋藤さんの担当です。珈琲が好きで(齋藤さんの淹れた珈琲は美味しい)、花が好きで(だからウインドには生花がいっぱい)、生き物が好きなようです(ウインドにはインコ、自宅では犬を飼っています)。安吾が好きで、話し好き。気が付くといつも本を読んでいます。パソコンが苦手で、ケータイはしょっちゅう不携帯。30年目記念インタビューの締めくくりが身内というのは、いかがなものかと思わなくもなかったのですが、まぁ、シネ・ウインドらしいかな、とも思います。
どうか、この1年のインタビュー特集の感想をお寄せください。(市川)

齋藤正行(さいとう まさゆき)…シネ・ウインド代表。
1949年新潟市笹口生まれ。新潟県立新潟高等学校卒業。大学進学で東京へ。新潟に戻ったのは82年。
85年3月、名画座ライフの閉館を受けて、市民参加と市民出資による独自の新しい映画館をつくるため、「新潟・市民映画館建設準備会」を設立。12月「新潟・市民映画館シネ・ウインド」開館。
現在、(有)新潟市民映画館 代表取締役、新潟・市民映画館鑑賞会 顧問。その他の主な活動として、安吾の会 世話人代表、安吾賞 選考副委員長、万代シテイ商店街振興組合 副理事長、新潟NPO協会 理事、「死ぬな!」編集長、舞踊家 井関佐和子を応援する会「さわさわ会」会長、「まちなかの文学を歩く会」、コミュニティシネマ長岡など。

月刊ウインド2015年11月号は、9/8のシネ・ウインド会員総会の報告や、シネ・ウインドの「成り立ち」、井上支配人による「新年度の方針」、「全国コミュニティシネマ会議2015in新潟」(9/4・5)のレポートなど、ぜひ読んでいただきたい記事満載の保存版です。まだお読みでない方は、どうぞご一読ください。

●「LIFE-mag.vol.007」シネ・ウインド特集号には、シネ・ウインド設立時の話がより詳しく載っています。

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