第11弾 Noism 井関佐和子 インタビュー

2015年11月26日
シネ・ウインド

シネ・ウインド30年目記念インタビュー第11弾 Noism 井関佐和子
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※このインタビューは、月刊ウインド2015年10月号に掲載されたものです。
取材は8/16。9/4のNoism0「愛と精霊の家」公演を控えてお忙しいなか、ご協力くださいました。

舞台に登場しただけで観客の視線を集め、ただならぬオーラを発する、Noismの、
いや、新潟の輝くミューズ--

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井関さんがバレエを始めたのは3歳。「初舞台で熊さんの着ぐるみを着て踊った」のを覚えているそう。「その頃、すごくしっかりしてたんですよ。自分は絶対にちゃんとしたことやる、みたいな感じで」。バレエを始める前は「田舎で走り回っていた」。「小学校に上がって、お習字とか水泳とかピアノとかやったけど、(バレエ以外は)全然続かなかった」。兄弟はお兄さんが一人。「お兄ちゃんの方が運動神経がいいんですよ。私は全然ダメ」。

舞踊をやっていくと決めたのは14歳くらいの頃。「海外に行きたいってずっと思ってた」。16歳の時に初めて行った海外旅行先のチューリッヒでバレエ学校のレッスンを受け、「私の心はもう100パーセント、絶対行く!」。日本に帰ってすぐ、学校をやめて留学すると宣言。「言い出したら聞かないんで(笑)」。留学はとりあえず1年。高校は休学の形だったが、1年後には退学届を出した。
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ヨーロッパに7年

井関◆たぶん、両親はわかってましたね、私が帰ってこないって。最終的には7年いました。16歳って向こうでは当たり前です。舞踊家になる人はそれくらいの年で決めてますね。その意味では日本はゆっくり。自分は19歳でプロになってるんですが、日本は19歳ではまだまだみたいな感覚がある。22歳で日本に戻ってきて、25歳でNoismへ。

――新潟にいらっしゃるきっかけは?
井関◆それはもう、穣さん(金森穣)が来るって言ったんで(笑)。たぶん今もそうだと思いますけど、海外に行って踊ってる日本人たちは、絶対みんな日本で踊りたいですよ。その環境があって、自分の尊敬する振付家がそこにいるのなら、何の迷いもなく、どこにでも行きますよ。それはヨーロッパにいた時でも同じ。新潟だったらちょっと止めようかな、なんていう気持ちは毛頭なかったです。

――新潟にいらしてみて、来る前と印象は違いましたか?
井関◆来る前は、とりあえず雪国だよなぁという感覚しかなかったです。一番最初は、穣さんがミュージカル「家なき子」(03年、りゅーとぴあ開館5周年記念市民ミュージカル)に出た時に訪ねてきたんですよ。その時はひとりで町中を歩いたんですが、なぜか東堀と古町の間、横道みたいなところをずっと。寒くて暗くて寂しくて、何にもなかったんですよ。なんでちゃんと調べなかったのか。今でもあの辺りが懐かしい(笑)。でも、本格的に新潟に来てNoismの活動が始まったのは4月だったんで、季節も明るくなり始めてて、川もあっていいところだなぁ、って全然印象が変わってましたね。

新潟に根付く

――Noismの第1回公演「SHIKAKU」(04年)は私も見ていますが、正直、井関さんを覚えてないんですよね。メイクとか、みんな同じような恰好してたし。「SHIKAKU」はすごく大変だったと、著書の『未知なる道』に書いてありましたね。
井関◆あれは本当に大変でした。メンバーは10人。最初の作品なんで、今考えれば当たり前のことなんですけど、集まったメンバーも何もわからない。とりあえず集まって、いきなり始まって。何もわからないまま、本番がすぐにある。4月に集まって、いきなり初舞台が6月。その2ヵ月の中で、穣さんの変容ぶりがすごかった。最初は始まった、という感じですよね、それから鬼のような日々が。そういうこと言うと怒られるんですけど(笑)。私はあの時、金髪というか白髪にしてたんですけど、あれは地毛だったんじゃないか、っていうくらいストレスでした。勢いがあったからできたようなものじゃないかな。整っていろいろ考え出す前に、えいやって勢いでやっちゃったんで。そこから始まって、あっという間に12年目。
――すごい! 最初のメンバーの方たちは、井関さん以外もういないんですよね。
井関◆大分前からいないです(笑)。
――新潟の印象や、新潟のお客さんの印象は、最初の頃と変わりましたか?
井関◆全然違います。これまでは、Noismのこと知らないだろうな、って思ってたのが、結構、「見たことなくても知ってる」って人が増えてるのをすごく感じるんですよ。「まだ見てないんですよ」って言われながらも、知ってくれてること自体が嬉しくて。「Noism=ダンス・舞踊」っていうのもわかってくれてる。前なんて、「Noism?えっ?」「バレエじゃないんでしょう?」みたいだったのが、「Noism」がひとつのジャンルとして、新潟に根付いてきた、というのをすごく感じます。

――この12年で特に印象に残っている作品は?
井関◆「SHIKAKU」のことは語り尽くしすぎて、あれはもしかして大変じゃなかったかな、と思うくらい大変だって言い続けてきちゃって(笑)。「NINA」(「NINA-物質化する生贄」05年初演)はやっぱり大きかったですね。始まった時から印象が強かった。あれは穣さんの転機にもなったでしょうし。ひとつひとつにすごく思い入れがあるので、どれも比べられないですが、Noismとしての分岐点は、やっぱり「SHIKAKU」と「NINA」かな。

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「箱入り娘」公開リハーサルより(公演は2015年6~7月)

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Noism0「愛と精霊の家」公開リハーサルより(公演は2015年9/4)

表情も身体のうち

――井関さんの特に大きな魅力は、表情が豊かなことだと思っています。
井関◆変顔とかも言われてますけど(笑)。
――最初は気付かなかったんです。いつからか、あれ?表情がすごく豊かだな、と。
井関◆元々、子どもの頃から、そこだけで進んできている人なんですよ、実は(笑)。小さい頃から表現だったり表情っていうのだけはいいと言われてました。コンクールに出ても、テクニックはまぁ、中の下、ギリギリなんですよ。でも、踊っている時の雰囲気だったりで、いつも褒められて、なぜかちょっと上位に入れる。でも、1位にはなれない。Noismに入ってそういったところがなくなったわけではないんですが、穣さんの初期の作品は表情をあまり出さないような抽象的な作品が多くて。でも、穣さんも変わってきましたよね。表現や表情を出すこととかも、ひとつの身体のありかたとして始めたので、自然とそこにマッチした、というか。わざわざどうこうって感じじゃないですけど。
――ダンスって、身体の動きに注目して見ていることが多いのに、Noismだと顔の表情に目がいく時があるんですよね。
井関◆今だったら、「SHIKAKU」や「NINA」をやっても、変わるかもしれません。穣さんの抽象的な作品の中にも物語があるはずなんで、そこのところを突き詰めれば、自分たちもそうなんですけど、全然変わってるかなぁ。あの当時は、もっと身体性だったり、もっと身体のことっていう感じだったんですけど、表情も身体のうちだし。踊りをあまり見たことのない人にとって、私たちがいくら難しいことをやっても、意外と難しいことって5分くらいで飽きるんですよ。私自身も舞台を見に行って、わぁ、すごいなぁ、って言って、最初の5分はいいんだけど、ずっとそれやられると段々退屈になってくる。入りやすかったり、物語を勝手に作れたり。顔だけじゃないんですけど、そこも重要なこと。それは「カルメン」(14年)が一番大きかったんじゃないですかね。それまでは、もちろん「ホフマン物語」(10年初演)だったり、いろいろあったんですけど、「カルメン」で穣さん的にも、キャストに役者さんを入れて、そういうものを全面に出していくってのは、大きかったんじゃないですかね。
――演劇に近づいた?
井関◆昨日、奥野(晃士)さんに、「いいですね、役者さんは年取っても(いけるから)」と言ったら、「佐和子さん、セリフはどうですか?」。「お断りします」って言っておいたんですが(笑)。私は口パクで十分です。
――でも、Noismって、結構セリフがありますよね?
井関◆もう~ダメです、ダメです。ちゃんと練習しないと。

これだっ!となったら止まらない

――昨年かな、井関さんがツイッターで「ピーター・ブルックを読んだ」と書いているのを読んだのですが、何かきっかけがあったんですか。
井関◆鈴木忠志さんと出会った頃から、穣さんがいろんな演劇の本をいっぱい読んだりしてて。私はたぶん、ピーター・ブルックって、穣さんから聞いたんです。で、すごく興味が湧いて。何がきっかけだったんだろう。今、ピーター・ブルックがすごく好きなんですよ。「カルメン」も、実はピーター・ブルックのを一生懸命探して見ました。あの女優さんとピーター・ブルックがすごく好きです。『何もない空間』も読みました。もうひとつのほう、『秘密は何もない』がどんぴしゃ、はまっちゃって、バイブル、バイブルって言って、何回も読みました。「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」(今年6月シネ・ウインド上映)のDVD、うちにありますよ。

――この本を読んでみようとか、この音楽を聞いてみようとかのアンテナはどの辺に?
井関◆穣さんは、とにかく、いっぱい読みますし、いっぱい勉強もする。鈴木忠志さんの本に出てきた人の本をまた読んで、どんどん増えていくんですよ。私はそれをチラチラチラチラ見てるんですけど、私、本あんまり読まないんですよ。でも、始まったら止まらないんですよ。たとえば、ピーター・ブルックとか始まると、全部読みたいし、全部見たいし、その人のことを全部吸収したくなる。穣さんが、これいいよ、って言っても、ふ~んっていう時期が結構あるんですよ。でも、何かのきっかけで自分がこれだ!ってリンクしてしまったら、そこに戻るんですよね。そういえば穣さんがいいって言ってたなって。でも言われただけだと、ふ~んってしかならないんで、結構、いいよって言われている本はいっぱいあるんですけど、なんか、全然そのこととは関係ないところでひっかかるんですよ。演劇とは関係ないスポーツでひっかかって、あ、この考え方もしかして、って演劇に戻ったり、舞踊に戻ったりって感じ。突然やってくるんですよね、私の頭。だから、いつも穣さんから変だって言われて(笑)。突拍子もないらしいんですよね。あまり理にかなってない。突然衝動としてくるんで。そして、いきなり消えていく(笑)。でも、基本は舞踊。「カルメン」の時は「カルメン」。カルメンらしい名前だったらなんでも読んだし、カルメンぽい人だったらなんでも見ました。

井関佐和子 未知なる道
▲『Noism井関佐和子 未知なる道』 14年11月発行 平凡社刊(2100円+税) シネ・ウインドでも販売しています

本と「さわさわ会」

――『未知なる道』、素晴らしかったです。反響はどうですか?
井関◆どうなんでしょう(笑)。昨日、奥野さんとご飯食べてて、穣さんと話してたんですけど、こういう本を30代で出せたことを、幸せに感じます。50歳とか60歳で自分の舞踊人生を遡るんじゃなくて、ある意味途中。でも20代でもなく、30代っていうことで、いろんなこと考えられる年代にこれを1回出せたっていうのはすごい奇跡。
――「回顧録」じゃないんですものね。
井関◆でも、ある意味、これまでの回顧でもある。その先もあるんで、今の時期に出せたことがとてもよかった。50代になった時にこれを読んだら、恥ずかしがるんだろうね、とか言いながらも、その時にまた感じるところがあってっていう、その意味では(それが)すごく楽しみ。今でもすでに、もう恥ずかしいですけど(笑)。皆さんには雑誌代わりに読んでくださいって言ってるんです。ま、50代くらいになったらもうちょっと深い本が出せればいいな、くらいの感じですけど。

――「さわさわ会」(舞踊家 井関佐和子を応援する会)はどうですか。
井関◆すごいですよね、これがボランティアでできてしまうという奇跡が、すごい。私ももうちょっと皆さんと触れ合わなくちゃだめですよね。ホントにありがたいです。「さわさわ会」の第2回懇親会が11月にあります。第2回はそんな硬くない感じで。
――昨年の第1回も硬くはなかったですよ。ノリがいいなと思いました(笑)。
井関◆それが「さわさわ会」のいいところ(笑)。
――越野さん(「さわさわ会」の事務局)がシネ・ウインドに来て、齋藤代表(「さわさわ会」会長)と打ち合わせしてる時に、たまたま私も近くにいたんですよ。で、どんな名前がいいかってあれこれ話してて、「さわさわ会」って私が案を出したんですよ。
井関◆素晴らしい! 「さわさわ会」って名前が候補で出た時に、もうちょっと頑張って考えよう、他にもあるかもしれないって、いろいろ案を出すんですけど、みんな戻るんですよね。やっぱり「さわさわ会」だよねって。響きがいいし、私が忘れ去られても、ずっと残りそうないいネーミング。会報に使われている高橋トオルくんの「さわさわ会」というロゴデザインもすごくいい字で、お気に入りなんです。「さわさわ会」ができて、私、落ち着きました。本も出て、時期が全部重なったんですよ。舞踊家として楽しめる時期に入ったな、って。これまで肩肘張って、いや両肘ですね(笑)。うまくなりたいっていう欲だけで生きてきた。もちろん今も欲はあるんですけど、欲に向かっている自分を楽しめるようになってきたっていうか。それは、本と「さわさわ会」が大きいですよね。今までは知ってもらいたい、という気持ちが強かったんですけど、自分の立ち位置が見えた、って感じです。大きいものを目指しすぎないし、ちっぽけな夢も見ないし、ていう。昔は大きい夢だけだった。で、打ちひしがれて、私はなんてダメなんだろう、と逆に行っちゃったり。自分の場所がこの辺だな、って見えるようになったので、逆に楽しめるようになってきた。これはもう、様様ですよ。ホント、“さわさわ”じゃなくて、“さまさま”(笑)。
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▲2014年11月2日 「さわさわ会」より発足式より

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今後の予定

井関◆とりあえずは「カルメン」、来年(2016)1月末。これは楽しみですね。1年半くらいで再演できるのはありがたくて。奥野さんもまた一緒にできるので。楽しみですね。それと、その次の新作。タイトルとかはまだですけど、「劇的舞踊の第3弾を6月にやります」、っていうところまでは出てる。
――6月は脚本が平田オリザさんですよね。
井関◆どうなるんでしょう!
――演劇的なのか、どうなのか。
井関◆そこがどうなるか、すごく楽しみですよね。オリザさんだからといって、完全に演劇に偏ることはなくて。そのバランスを穣さんがまた上手い具合に見つけて。変な作品になるんだろうな、と思いながら。
――ロボットが出てきたりして(笑)。
井関◆出て来ちゃいますか! やっちゃいますか、ロボット演劇(笑)。すごく楽しみ。「カルメン」とはまた違う次元になるんで。
――私もとても楽しみです。

30年目のシネ・ウインド

井関◆30年目ですか。すごい! これが市民の力で続いているっていうのはすごいことだと思いますし、絶対続けなければいけないって、ホントに常々言ってるんですよ。私、映画が好きなので見に行くんですけど、シネコンとかの大きい映画館に行くっていうのは、私にとって「受け身」の感じなんですけど、シネ・ウインドとか、密な空間でやっているものがすごくマニアックな映画だったりすると、自分からの興味がすごくそそがれる。こっちからもエネルギーがあるので、私にとっては勉強というか、大切な時間なんです。シネ・ウインドに行く時は気合いが必要。行くぞ!って見に行って、ちゃんと対話して帰ってくる。それって、すごく重要。生きていく上で重要。大きい映画館で映画見るのも、たまにはいいですけど、「ジュラシック・パーク」で“ガオー”とか。でも、それとは違う時間がシネ・ウインドにはある。新潟にはここしかないので、私ごときが言うことではないですけど、500年続いてください。100年じゃなくて。絶対、あそこ(今の場所に)あってほしいですね、
――齋藤さん、生きてたりして(笑)。
井関◆生きてると思いますよ(笑)。そういう時間って大切ですよね。
――今、チラッと思ったのだけど、Noismに対するのと近いですね。私が自分から楽しもうという姿勢で見にいくのがNoismなので。
井関◆そういう意味では私も感じます。Noismを見に来る人は気合いがいるんだろうなって。体調のいい日に行こう、みたいな(笑)。
――確かに、ただのお客様でいられないってところがちょっとありますよね。そこがNoismの魅力でもあります。
これからの公演を楽しみにしています。今日はありがとうございました。

※8月16日、りゅーとぴあにて
テープ起こし・構成 岸じゅん
聞き手・文・構成・ページ担当 市川明美

井関佐和子(いせき さわこ)…舞踊家。Noism副芸術監督。1978年高知県出身。新潟市在住。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールらに師事。99年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、ヨハン・インガー等の作品を踊る。04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要なパートを務め、現在日本を代表する舞踊家の一人として、各方面から高い評価と注目を集めている。08年よりバレエミストレス、10年よりNoism副芸術監督も務める。
公式ブログ 「Noism 井関佐和子 舞踊家の言葉」
Twitter @sawakoiseki

Noism(ノイズム)…りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館が舞踊部門芸術監督に金森穣を迎えたことにより、日本初の劇場専属舞踊団として2004年4月設立。正式メンバーで構成されるメインカンパニーNoism1(ノイズムワン)と研修生が所属するNoism2(ノイズムツー)の2つのカンパニーからなり、新潟を拠点に日本国内をはじめ海外8ヵ国11都市でも公演を行っている。設立後3度の更新を経て16年8月までの活動延長が決まっている。12年目を迎えた今なお、国内唯一の公共劇場専属舞踊団。
Noism2の次回公演は、2015年12/11・12・13 Noism2定期公演「Painted Desert」(再演)/「SAUDADE」(新作)
Noism1の次回公演は、2016年1/29・30・31(新潟公演)、劇的舞踊「カルメン」再演 ※2/19- 21神奈川公演

※プロフィールはNoism公式HP(http://noism.jp/)より

舞踊家 井関佐和子を応援する会 「さわさわ会…2014年7月13日、りゅーとぴあ・スタジオBで開催されたNoism対談企画 ラウンドテーブル「柳都会デラックス」の中で、パネリストの一人、シネ・ウインド代表齋藤正行が、井関佐和子さんを応援する会があったら入会する旨を発言。 それが引きがねで創設された。設立日:2014年11月3日(井関佐和子さんの誕生日) 会員募集中!
※11月に懇親会が予定されています。(←2015年11/8に開催されました)
http://www.sawasawa-kai.com/
問い合わせ:「さわさわ会」事務局(シネ・ウインド内)090-8615-9942 info.sawasawa@gmail.com

●月刊ウインド2013年2月号に金森穣ロングインタビュー掲載あり

●月刊ウインド2015年10月号p.20に、NIDF2015―新潟インターナショナルダンスフェスティバル Noism0新作「愛と精霊の家」公開リハ&本番の取材記事あり